幻想と奇想〜Art(美術)〜
- 60年代、欧米の刺激を受けて、我が国のアーティスト達も様々な形の実験的な作品やパフォーマンスを行います。ピークは65年から68年くらいではなかったかと思われます。この当時の作品は日本の60年代アヴァンギャルドと称せられ、何冊かの出版物もあります。70年代は60年代にアヴァンギャルドを実行したグループが大阪万博を通じて認知され、資本主義に呑み込まれ、欧米での実験的なアートの衰弱と同様に我が国でも衰えていきます。
以降、ストリーキング、突然、すっ裸になって街中を走り回るパフォーマンスが話題になった程度で、パフォーマンス自体は暗黒舞踏やアングラ演劇の台頭の中で、肉体的な訓練が少ないアーティストは見劣りするもので、ほぼ消えます。
- 後楽園球場に出現したストリーキング1974年
掲載したことで警察から警告を受けた週刊新潮1981年 裸でパトカーの中に
-
- 欧米の現代美術では、アンディ・ウォホールがずば抜けた存在で、60年代末から70年代の始めにかけて、LSDなどのドラッグの影響を受けた表現がウォホール以外からも盛んに出てきますが、ウォホールのベルベット・アンダーグラウンドが解体した後、低迷期に入ります。日本では警察の取締もあって移入は困難で、ドラッグに影響された作品は出現しません。
- 現代美術の幾何学模様を使うような抽象表現は、日本人ばかりでなく欧米人にも許容度を超えたもので、一般人をアートの世界から遠ざける結果を生み、作家たちは仲間内だけで騒いでいるだけ、特に日本では欧米の流行を追いかける存在でしかない状況に追い詰められていきました。
-
- 70年代は、戦後、アートの分野を強力に引っ張って来た抽象表現が衰え、具象、何が描いてあるのか少なくとも分かる絵画への転換が起こります。ここで澁澤龍彦の果たした役割は大きかったと思われます。神秘主義への嗜好も強まっていく時代の影響から、幻想芸術に回帰していくのです。戦前、流行したシュールレアリズムが、再度、復活し、ブームが起きてきます。後期シュールレアリストと呼ばれた人々も、この時には多くが生きており、時代の証言者として展覧会や画集が売り出されます。また、辻惟雄が発掘した江戸の奇想の画家が注目を集めるようになり、それが今日までも続いています。この日本の動きは世界的な美術の流れの中では異質であったように思われますが、明治以来、長く続いてきた欧米のコピーから脱する契機となったのかもしれません。これらについては画像を中心に紹介します。
-
- 日本における美術表現は、このような幻想、奇想といった時代の変化から少し離れたもので、グラフィック・デザイナーによるコラージュが中心になっていました。その代表が横尾忠則です。彼らは、この時代に最も活気のあったアングラ演劇の美術に参画します。その他に、広告デザインの隆盛の中でイラストレーターに注目が集まったりします。また、人形ブームが起き、それに刺激されるようにベルメールの影響を受けて人形に分け入った四谷シモンの例があります。
-
- これらは我が国の美術の主流を構成する芸大などでは、到底取り上げられるものではなかったものですが、やがて今日、オタクや萌えに代表される欧米にはない、新しいアートを発見しようとする流れを作り出して行ったのだと思います。このページは、澁澤好みに非常に近いものですが、あくまで私の個人的な趣味を強く反映したもので、当時、大いに活躍した人達は含まれておりません。例えば版画家の池田満寿夫、野中ゆり、映像関係でも活躍する田名網敬一、現代美術の雄、中西夏之、高松次郎、関根伸夫、リンドナーの影響の濃い平賀敬、あるいは回顧展で話題になった日本画の速水御舟、金山平三、洋画家の佐伯祐三など、一度は作ったのですが、あまりにもページが散漫になって、美術を描ききれないために切ってしまいました。見てはいるし、パンフもそれなりにはありますが、止めました。ここに抜書きされた作家が70年代を本当に代表されるものであるかは多分、違っています。
-
- 澁澤龍彦
- シュールレアリズム
横尾忠則、金子国義、合田佐和子
- 北方ルネッサンス
宇野亜喜良、井坂芳太良、林静一
- シンボリズム(象徴主義) 中村宏、多賀新、佐伯俊男、片山健
- ウィーン幻想派
- 江戸の奇想画
四谷シモン、土井典
-