

このページは、70年代半ば以降に強まるパフォーマンス系のダンサーを中心に構成しています。
田中泯
77年

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羽永光利写真集「舞踏」
ストリートのパフォーマーの印象が私なんかは強い感じです。舞台よりも路上での踊りが特に70年代は多かったと思います。田中泯も、暗黒舞踏の影響の少ない人です。不器用な人という感じが強いですが、ともかくやり続けたエネルギーは大変なものです。土方さんの晩年に、振付をしてもらって公演をしています。
霜田誠二
記憶があまりないのでパンフレットだけかもしれません。この人もストリート・パフォーマンスを主体にして、世界中を流浪したようです。霜田氏の知り合いが世界を股に翔ける前衛乞食芸人と言っていますから。日本国際パフォーマンス・アート・フェスティヴァル」の中心人物として活躍されているようです。

77年
岩名雅記
ヨーロッパが活動拠点になっていて、日本には年2回の公演をしているというのが最近の動静です。このチラシはヨーロッパに行く前のダンスというかパフォーマンスを始めた頃のものだと思います。この場所に行った記憶はあるのですが、内容は覚えておりません。

パントマイムが、海外からの影響によって、勃興してきます。海外の話題から紹介します。ピエール・ビラン(Pierre
Byland)はマルソー(Marcel Marceau)を超えたといわれていますが、最初に来日したのはビランの方でした。ここら辺は、マルソーの方が出演料が高かったからではないかと思います。マルソーは待ち望んだスター扱いになり、人気もマルソーの方が高くなってしまいます。マルソーは何回も来日し公演を行います。ビランの方が仮面を使ったり、ベケットの芝居にも出演したりと幅はマルソーよりも、ずっと広かったし面白かったのですが・・・・

この海外からの刺激を受けて、日本でもパントマイムが盛り上がります。吉田洋が代表で、パントマイムの劇団フレガード座も立ち上がります。ただ、パントマイムの人気も、10年近くしか続かなかったように思います。
吉田洋
ネット上ではパントマイムの学校関係しかありません。昭和19年生まれ、24歳でパントマイムの道に入り、日本マイム研究所、ニコラ・バタイユ演劇教室に学び、71年に岩波ホールで第1回リサイタル。このパンフレットは76年の3回目の俳優座でのリサイタルです。マルセル・マルソーの影響を強く感じます。参考までにパントマイムの歴史をリンクしておきます。


フレガード座(パントマイム)


奥田節
ネット上では動向は全然、分りません。記憶はあいまいです。暗黒舞踏系の人である可能性もあります。

77年