Drama(アングラ演劇)

 この時代の最も活力のあった芸術分野はアングラ演劇です。数えることが不可能なほど大小の劇団が立ち上がります。この中から次の時代のTV俳優も映画俳優、脚本家も演出家も出てきます。驚くべきエネルギーでした。アングラ演劇のスタートは年表によれば1965、66年くらいですが、世上に上ってくるのは68年くらいでした。私が眼にしたのはスポーツ新聞で、新宿花園神社で奇天烈な演劇が行われているという記事でした。ほぼ、同時期に渋谷に天井桟敷がオープンし、その奇抜な外装と、詩人寺山修司が何か始めたというものでした。当時は小劇場運動とも言われましたが、すぐにアングラ演劇が定着します。
 私が見始めるのは大学卒業後の69年です。最初に見たのは当時68/69と名乗っていた黒テントの前の時代の佐藤信演出の鼠小僧でした。圧倒的、完成された演出でした。次は唐のところ、天井桟敷の第一回ヨーロッパ遠征前は1回しか見ていません。題名は覚えていません。天井桟敷はヨーロッパから帰ってきた以降が中心になります。まぁ、沢山、見ました。当時は入場料も安かったし、混んでいたのは唐、寺山、鈴木忠志くらいでしたから。アングラ演劇の活況は既存の劇団に大きな衝撃与え、そこでも数多くの試みがなされていきます。その点はここでは触れないでおきます。
 アングラ演劇の活況は、70年代でほぼ終りを迎えます。一部はTVや映画、商業演劇などに呑み込まれていったこと、人気俳優のTV出演が劇団の運営を難しくさせ、脱退騒ぎが出てきたこと、先頭に立って頑張ってきた世代が40代にさしかかり、劇団を継承する形での世代交代が難しかったこと、破壊すべき既存勢力が崩れ落ち、彼らの訴えたものが、相当に実現してしまったこと等々、寺山修司の死(1983年)が幕引きした部分も相当にあります。アングラの熱狂は消失します。
 一般にはアングラ四天王を第一世代、つかこうへいが第二世代、それ以降を第三世代と言いますが、ここにあるのは第一、第二世代が主体で第三世代が少し顔出しをする程度です。ここには夢の遊民社や第三エロチカなど第三世代を代表する劇団は登場しません。ここに挙げられた劇団は私が見たものを中心に構成されています。このため一部には無名のまま消えたものも含まれます。他の劇団が何故、取り上げなかったかというと、単に私が見ていないというだけの理由ですので悪しからず。内容はチラシで構成して、一部、当時の雑誌などの写真を活用します。


はじまり      発見の会:上杉清文            劇作家=岸田戯曲賞を中心に
          変身:寺田柾                  (別役実、清水邦夫)
          ホモフィタクス:芥正彦           俳優達
アングラ四天王   
68/71(黒テント):佐藤信         
          天井桟敷:寺山修司            海外演劇の影響
          状況劇場(赤テント):唐十郎        アングラ演劇年表
          早稲田小劇場:鈴木忠志  //走狗:関口瑛
独立系       現代人劇場、櫻社:蜷川幸雄         辻プロ:内田栄一
          スーパーカンパニー:竹邑類         転形劇場:太田省吾
          青年座                   シアター夜行館:笹原茂朱
          結城人形座                 劇団創造:南川泰三
夢を繋ぐ      東京キッドブラザーズ:東由多加
          演劇団:流山児祥
          つんぼさじき:山崎哲
          錬肉工房:岡本章
          デラシネ:戸田孝治
          オンシアター自由劇場、電気亀団:串田和美
          不連続線:菅孝行             凶区:秦野春樹
          暫:つかこうへい
          斜光社:竹内純一郎             浮遊群げきば:星野共
より深く      中村座:金杉忠男              黙示体:行田藤兵衛
          魔呵魔呵:岡本秋象、生田萬        究竟頂:山川三太
          第七病棟:石橋蓮司            浪漫劇場:覚王
          天象儀館:荒戸源次郎           八幡船:弾十郎
          空間演技:岡部耕大            幻想劇場:江連卓
          日本:三原四郎              自動座:朝比奈尚之
          曲馬館:翠羅臼              花組:阿部良

          はみだし劇場:外波山文明         黄金劇場:島龍弘

 人に言われて気づいたことですが、チラシを持っているといっても、全部、見た訳ではありません。ほとんど全部見た場合もありますが、数本しかない場合もある。 チラシがなくても見た場合もあることです。というのも例えば状況劇場の場合、初期はチラシがない。告知のほとんどがポスターだった。これは天井桟敷も同じです。 演劇の案内は、読書新聞の小さなコーナーに書かれたものしかなかった。このため名もない劇団は、状況とか天井桟敷といった有名劇団の開催時刻前に行き、並んでいる観客にチラシを配ったのです。このため帰りには10枚も20枚ものチラシを受け取ったものです。それをあまり捨てなかったということです。 もう一つは、場所の記憶にあるような新左翼系の書店やフォークやロックの喫茶店にぶら下げられたチラシです。隅に穴が開いているチラシはその手のものです。これは舞踏でも、同じです。