転形劇場  演出:太田省吾

 太田省吾は、80年代の前半くらいだったでしょうか、非常に高い評価を受け、いろいろなところで絶賛されていたように思います。 資料を読むと発見の会に加わろうとして、タイミング的に合わなかったとかありまして、アングラ第一世代に属し、当時から仲間内での評価は高かったようです。 小町風伝で岸田戯曲賞を受賞していますが(77年)、これ以降だったと思うのですが、もともとセリフが多い脚本ではなかったのですが、セリフが極端に減っていきます。 Wikipedia的には沈黙劇と書かれますが、この頃、アングラ演劇に土方巽の暗黒舞踏の影響が強く入るようになっています。 後に触れる錬肉工房が典型ですが、演劇が変容していく一つのタイプだったのです。 ある種の限界、社会状況的にも、演劇表現的にも、壁に突き当たっていて、当時、盛り上がってきていた舞踏ブームを自身の演劇に取り入れたと、私は思いました。

 私の転形劇場との出会いは、この最初のチラシの鶴屋南北の櫻姫東文章で、南北ものを初めて見たものですから、強く刺激されて、南北の戯曲をこれを切欠に読み始めたのです。 赤坂TBSの裏の倉庫の2階だったかと思います。観客は多くはありませんでしたが、まぁ、当時の無名の劇団としては普通のことだった。何回かの公演の内に、主演級の中から、おや、あの人、辞めたのかと思うこともあり、どうしたのかなぁ、そんなことが続けてみる人間には分かるものです。理由なんかは、誰も知り合いがいないのですから分かる訳もないですが。
 ついでの話をしますと、この頃のアングラでは、公演が終わった後、劇団員と観客で酒を飲みながら、打ち上げと言いますか、反省会があったものです。 残ってくださいという呼びかけもありましたが、知り合いが誰もいないこと、夜も遅くなって帰りが心配でしたから、参加することはありませんでした。転形劇場だからではありません。有名劇団以外は、大抵、そんなことがあったのです。

 結構好きな劇団になりましたので、見る努力をしていましたから、彼らが有名になるまでというか、沈黙劇に入る前をよく見てきたと言えると思います。 役者の中では品川徹さんは生き残ったようです。


 この『73年の金糸雀(カナリア)料理、老花夜想、75年の喜劇役者、76年の硝子のサーカスの一連の老態シリーズを作り出し、人間は老いれば老いるほど内面の時間を広げ、その幻想の中に自己の存在を託さなければならなくなるという時間意識ののしかたを、俳優も内部の時間を拡大しなければならないという演技論を重ね合わせて追及しようとする」(森秀男、60年代演劇の継承者たち、流動1979.8)。 創立メンバーの品川徹、瀬川哲也が支えた老態も、小町風伝に至ると演技者のほとんどが老いを演じるという形になっていきます。


                                     「地の駅」の舞台(別冊太陽、現代演劇60’s〜90’s)

小町風伝 
「小町風伝」利賀山房にて

                           風枕の舞台、手を上げているのは品川徹、右は瀬川哲也
 『水の駅』、『地の駅』、『風の駅』という沈黙劇三部作と称されるものは、確か水の駅は見たと思いますが、肉体表現という点では、暗黒舞踏に比べれば、やはり劣ると私には思えたことと、 観客が集まりすぎて、昔のように気軽に見られなくなったことで、それ以降は見ておりません。

                          

 弓立社に転形という雑誌があったようで、以下はそこに掲載されていた「水の駅」の写真です。弓立社は他に「水の希望」という転形劇場を扱った分厚い書籍が出版されています。

  
太田省吾「劇の希望」