68/71(黒テント  演出:佐藤信「流動」1979.8

 アングラ四天王と言われながら、Wikipediaでの書き込みは一番少ない(2009年)のは、何故なのでしょうか。 演劇センターは六月劇場、自由劇場が発展的解消して形成されていくのですが、先の「発見の会」も合流する話が当時はあったようです。 発見の会は68年当時、脱退騒ぎなどがあって参加は立ち消えになり、69年に結成されます。 発見の会と同様に、活動するグループが連携して新しい演劇運動を展開していこうという当時の状況を示しています。この鼠小僧次郎吉は自由劇場時代の公演ですが、佐藤信の黒テントに繋がっていくものなので、一応、こちらに置いておきます。

                                              
鼠小僧次郎吉
 私が初めてアングラ演劇を見たのは、六本木にあった自由劇場の、当時は68/69と名乗っていた劇団だったことは前にも書きました。 発見の会の流れを汲む由緒正しいと言えるかどうかは分かりませんが、演劇的に様々な試みを行ってきたメンバーが揃っていました。 演出も佐藤信だけでなく、山本清多津野梅太郎が代わる代わるやっていたのは、先のいくつかの劇団グループが互いに刺激あいながら演劇活動を続けていたためです。70年代の後半は昭和をテーマにしたものを繰り返し上演するようになります。
 ただ、68/69→68/70→68/71へと、年号が進むと同時に名称も変わっていきました。 何か劇団が持続しないことを前提に名前をつけているような気がしたものです。
鼠小僧次郎吉は当り狂言で、この劇団としては比較的繰り返し上演されました。森秀男さんの書いたものによれば、5部作まであったようです。 自由劇場での公演はそれこそ68/69と名乗っていた時期に限定されます。 というのもすごく小さい小屋で、せいぜい40人くらいしか入れなかったからです。2年程度だったということでしょう。



こちらは再演です
写真は映画評論、鼠小僧。


小説・私のビートルズ                      2月とキネマ
2月とキネマ 女優は緑魔子
小川真由美




 状況劇場の向こうを張って黒テントで上演をするようになったのは、68/71に名前を変えてから、そんなに時間が経っていない頃だったように思います(森秀男氏によれば70年だそうです)。この辺は記憶が曖昧です。演出家による差異は、私なんかでは、あまり分かりませんでした。ただ、最も若い佐藤信が次第に中心になっていたように思います。68/71で忘れられないのは、俳優の清水紘治新井純です。特に清水は、もの凄い人気で70年代の半ばくらいは、それこそ状況の根津甚八もそうでしたが、アングラ劇団にスター俳優が出現し、やがてTVに進出していくパターンの最初の人達だったかと思います。ちょっと演劇どころではない騒ぎで、驚いたことがあります。

ブランキ殺し上海の春
 68/71の舞台は、226事件や阿部貞、上海を多く取り上げる昭和前期をテーマとしたものが多くあり、この時代の演劇、唐さんも同じですが、劇的な状況を利用した精神を鼓舞するものでした。演じている人々にとってはどうであったか分かりませんが、私のような見る方では、よく分からない人や事件が重なり合っているもので、よく分からないけれど凄いなぁ・・そんな感じであったのです。
   

 


さよならマックス 上、清水鉱治(「新劇」1973.7)

 この写真は72年に私が撮ったものですが、さてどの舞台だったのか。覚えておりません。

清水鉱治です。


喜劇阿部定


 妹尾河童さんの「河童が覗いたニッポン」の中に黒テントの組立て方があったので掲載します。 こういうのはなかなか当事者達以外には分からないこと、図解している例はないものですから。 こういうのが本に掲載されるということは、いかに当時、テント劇場が広まっていたかを示すものでしょう。






デビット・グットマン「富士山が見えたー佐藤信における革命の演劇」