格差社会<ITバブル>


自営業者は、金融機関の貸し渋り、貸し剥がしが横行し、資金的にどうしようもない状態に追い込まれます。そこにはびこったのは闇金融でした。サラ金が社会問題とされた時代の猛烈な取立てが再現されます。システム金融と呼ばれた新たな闇金が発生し、桁違いのスピードで利子が膨らみ「借金が返せなければ腎臓を売れ、お風呂(風俗)に落とすぞ」。中でも商工ローンの凄まじい取立ては、多くの悲惨な自殺者を生み、そのことを指弾する弁護士、マスコミが現れたことでようやく終焉に向かうのですが、被害は膨大であり、社会の関心を強く惹起します。
 

政府は、金融機関の行動を制御しようと、国金(国民生活金融公庫)からの貸し出しを増やそうとします。しかし、甘い審査に付け込まれて、国金も不良債権化する事態に発展します。

バブル時代に発生したフリーターは、かつての自由人、夢に向かって努力している若者というイメージから、次第に就職ができない、正社員になれない人達へと変化し、働かないニート引きこもりが世の中に蔓延していきます。会社で言われていた勝ち組、負け組みが、次第に個人に降りてきて、同じ世代の中で勝ち組、負け組みと別れ、負け組みが蔑みの対象になります。

日本の絶不調の中にあって、アメリカは対照的にITを中心とした大変な好況、ニュー・エコノミーと呼ばれる現象が起きています。アメリカFRB議長グリーンスパン氏の巧みな市場管理の下に、繁栄を謳歌するのです。グリーンスパン議長は日本のバブル崩壊をとことん研究したといわれています。

FRBグリーンスパン議長

次の成長分野は、ITだと。何も考えずに浮かれ立つところの多い株式市場では、ITでもなんでもない携帯電話の販売会社の光通信が異常な株価で取引される。いわゆるITバブルが起きます。社長の重田康光は、1999年、34歳で東証一部上場という当時としては史上最年少記録を成し遂げ、ITバブルを牽引。高騰する株価により、一時は世界第5位の大富豪にのし上がる。しかし、架空契約に端を発した業績不振、勧誘の強引さなど営業方法への批判を浴び、倒産は免れるが、まっ逆さまに墜落します。

重田康光社長

光通信の凋落の甚だしさは、ITバブルの底の浅さを象徴し、携帯電話やネットに関わっていればITだという我が国の底の浅さをも露呈するものでした。

続いて注目されたのはネット証券です。先頭を切った松井証券が最も注目される存在になります。そして、パソコンで株式相場を睨んで瞬時に取引を繰り返すデイ・トレーダーが脚光を浴びます。家に何台ものパソコンを並べて、一日中、モニターに向かい合い、数億、数十億円を稼ぎ出す若者がTV で紹介されました。

松井証券 松井社長   デイトレード

ITバブルの熱気の中で、目敏い若者たちの会社が次々と設立し、上場によって、株券という紙切れが、膨大な金に摩り替わります。その代表が楽天であり、ライブドアでした。何十億、何百億円という金が、創業社長に転がり込んでくる。その金を使って、M&Aを仕掛け、傘下に置き、その信用、巨大な売上を基盤に、再度、増資、会社分割を図って、巨大化をしていく。

根本の企業に、ノウハウも、画期的なアイディアもない。単なる要領の良さだけ。組織が膨れ上がっていく中でも、ノウハウの蓄積を図ろうという気もない。まさに不動産転がしならぬ、会社ころがしによって、既存の企業群を呑み込んでいく。プロ野球球団や放送局など、規制に安住した企業に攻撃を加える。
彼らの多くが六本木ヒルズに居住したことから、ヒルズ族と呼ばれるようになります。金の集まるところには、様々な有象無象が凝集していきます。芸能人やら、TVの美人アナとの交際や結婚が話題を集めると同時に、ヒルズ族に在日の若者が多かったとも言われ、暴力団の影もちらついてきます。ベンチャー企業の社長が企業舎弟だったことも暴露されます。
                 六本木ヒルズ

彼らの多くが、上場で得た資金をベースにした金融会社に変質していきます。その意味では、初めからファンドとして名乗り上げた元通産官僚の村上世彰が率いる村上ファンドの方が、まだ分かりやすいかもしれません。村上ファンドも当初は株主の意見を会社経営に反映させる理想を掲げての出発でしたが、有名になり膨大な資金が集まり、その動きがウオッチングされ始めると、威力を喪い、無理な収益を求めての行動が、塀の内側へと陥れることになります。

     
ホリエモンこと堀江社長        村上世彰代表      楽天三木谷社長

同じ世代の中で、一方でニート、一方で数百億、数千億の金を得る人間が出てくる。平等が崩れ、中流が下流に落ちる、格差社会が出現したと、左翼ががなり立て始めます。その実態は、左翼が言うほどのものではありませんが。

世の中は、流行語となった「勝ち組」と「負け組」に意識、気分で分けることになります。