金ピカの時代〜ギャンブル天国〜
金余りは、空前のギャンブル・ブームをもたらします。庶民のギャンブルといえばパチンコ。
パチンコは70年代に、手動ハンドル式から電動式に変化し、テクニックによって玉を出すことから、誰でもが平等に玉を出せる形になります。
80年代にパチスロが考案され、フィーバーの登場によって爆発的なブームが巻き起こってきます。フィーバー式により、これまで数千円だった遊びが、桁が上がって数万円使う遊びになります。

大きく変わったことは、場末の小さい店が、膨大な投資の要るホール型の大規模店に集中する、資本の力によって、在日の零細な店が淘汰され、素晴らしいエントランスや雰囲気を持った店が生まれてきたことです。コンピュータ化、システム化が進んでいきます。
バブル期に入ると以前のように立ってするのではなく、椅子に座ってパチンコをするようになり、女性客を多く集めるようになります。景品も多様化し、ブランドのバックなど女性が欲しいものになっていきます。
次々と新装のパチンコ屋がオープンし、特に郊外で駐車場付きの大型店が開店、チェーン化が進んでいきます。
90年代に入るとプリペイド式の機械が現れ、より容易に、より清潔な雰囲気、楽しめる社交場になっていく。大変な金がそそぎ込まれるレジャーに進化し、パチプロの名も、かつてのアウトローのイメージが薄らいでいくことになります。
一方、大型のゲームセンターが本格化するのも、この頃です。専用の椅子に座って操縦桿を握って対戦するタイプが人気を集め、競馬ブームも手伝って、カジノ式のゲームが隆盛に向かっていきます。16ビットマシーンが登場する、セガの全盛時代です。
バブル期の直前、暴力団を背景にしたポーカー喫茶で、ポーカー賭博ゲームが密かに、そして相当に大ぴらに行われ、サラリーマンが数百万円の借金を負う事件が頻発します。あちこちで警察の手入れが入り、警察と暴力団のいたちごっこが発生します。ゲーム10円、1円をうたい文句に顧客を集め、当れば一晩で50万、60万が転がり込むが、当らなければ驚くような借金を背負う。


ポーカー賭博のゲーム機。これは最近のもの(探偵ファイルより) 10円ゲームの店がポーカーゲーム店
バブル期はゲームセンターが歓楽街から、普通の町まで大量に出店し始めます。(写真は別冊宝島「歓楽街攻略読本から)


競馬ゲーム ポーカーゲーム


競艇ゲーム ルーレットタイプのビンゴゲーム
歓楽街では、ゲームセンターからより洗練されたカジノバーが生まれてきます。1992年の頃です。カジノバーの中で直接監禁できるようになって以降、爆発的に人気が上がり一挙に店が増えていきます。大阪でカジノバーに警察の手入れが入ったことから、東京への進出が重なって、1995年には歌舞伎町を中心に東京にはカジノが260件あるといわれ、規模はともかく軒数では世界一を記録するのです。それもつかの間に取締りの強化の仲で96年には100軒程度に減少します。ルーレットも流行りますが、ブラック・ジャック、バカラが人気で、この人気は地下カジノにも持ち越されていきます。


これを受けてバブル期後期には舞台はより巨額な金が動く地下カジノに移っていきます。新宿歌舞伎町には50軒、六本木・渋谷には20軒、都内に200軒を下らないとされ、20坪の小規模店でも利益は1〜4億円、99年に摘発された新小岩の店では3ヶ月で45億円を稼ぎ出したといわれます。

西原理恵子