金ピカの時代〜眼の快楽:モータースポーツ〜


バブルの時代、F1でのホンダのエンジンの強さが際立っていました。
マクラーレン、ウイリアムズなどの一流チームにエンジンを供給し、ホンダ・マクラーレンなど、その名は光り輝いていました。
高名なレーサーがホンダのエンジンに乗り、数多くの優勝をさらっていきます。セナ、プロスト、ピケなどなど。
   
特にセナは88年から91年にかけて、出走80回のうちに優勝27回という驚異的な記録をマークするのです。
わずか34歳で死んだこともあって、セナの人気は、日本でも、欧米でも、非常に高く、カリスマ的な存在として現在に至っています。
写真集はもちろんのこと、小さなものでもお宝グッズになっています。
          

 
フジテレビのF1の大衆化によって誘導された人気は、レーシング・カーでの広告価値を高め、レーシング・カーに日本の企業のロゴがべたべたと貼られ、サーキットの広告看板も2/3が日本の企業といわれたこともありました。
いったいいくらの金が投入されたのか、もう誰にも分からない。
鈴鹿サーキットの人気が盛り上がっていくのも、この頃で、全国から集まるファンで、レースのある日の鈴鹿近辺は交通渋滞が激しく、トラックの運転手からは悲鳴が上がっていました。

日本人レーサーといえば、中嶋悟と鈴木亜久里でしょう。モータースポーツ以外にもファンは拡大していきます。
  
中島悟                         鈴木亜久里

鈴鹿サーキットといえばバイクもありますが、まあ、この辺にしておきましょう。