投機〜土地:買占め・地上げ〜
「赤信号、皆で渡れば恐くない」はタケシの有名なギャグですが、投機の場面で、これをすることが如何に馬鹿げたことであることかが分からないのがバブルの時代です。
戦後、土地というのは非常に特殊な資産でした。絶対に下がることのない、インフレ、物価の上昇の何倍もの勢いで必ず上がる資産だったのです。土地を購入して一軒家を建てるのが庶民の夢、男の甲斐性であったのです。

バブル期に突入した87年、1年間で全国の土地の価格がほぼ倍になると言う異常事態になります。当時は時間単位で価格が上昇していったと、バブル期の不動産屋の話が、我らがバブルの日々に掲載されています。完全な投機です。住むためでも、利用するためでもなく値上がりを見込んだ投資。しかも買った土地やマンションを担保にして、より大きな金で次の投資、土地やマンションを買い漁る。いくらでも客がいたと証言しています。
東京が主導して上がっていきますが、関西も関西国際空港の土地収用や建設から、激しい値上げが起こっています。
その金はどこから湧いてきたかといえば当然のごとく銀行です。銀行は顧客である企業に財テクを勧め、専門の部署を作ることを推し進め、そこに銀行員を送り込み、恐るべき勢いで不動産売買のための金を貸し込んだのです。巨大な商業ビルやオフィス・ビルの開発が進められ、古くからあった長屋や駅前商店街が次々と地上げにあって潰れていきます。立ち退かない人々により、歯抜け状態になった土地に、暴力団を使った強引な立ち退きが社会問題になります。食事しているところにダンプ・カーが突っ込む、パワーシャベルで強引に壊す、放火なんていう騒ぎも起きます。

周辺を買い占められた歯抜け状態の土地 地上げの立退き公告


港区南青山骨董通り 88年 91年
東京23区の土地の価格とアメリカ合衆国全体の土地の価格が同じだと言われた時代です。1坪が1億円の値段をつけたのは銀座ばかりではないのです。
92年頃にアメリカに行った時、中西部をバスで移動していたら、丘の上に大邸宅が見え、丘全体がその富豪のもので、当然、プール付きの、イチローが購入したような豪壮な家でした。ガイドさんが、あの家が1億5千万円ですよ、凄いでしょうと言ったら、隣に座っていた友人が、俺の家も1億円なんだけどなぁと、口の中でブツブツしていました。彼の家といえば、町田の住宅街の総二階というと、ちょっと良い感じもしますが、庭もほとんどない、どうということもないモルタル作りの家であったのです。
地価の高騰により、庶民の怨みに満ちた声が広がっていきます。都内に住宅を建設することは夢物語になったからです。諦めた庶民の、特に若い層は家を買うよりも、車や旅行など他の消費に目を転じ、刹那的な消費に向かっていきます。高額所得者ランキングは、土地の売買で得た地主達が、これまで事業による成功者を押しのけて上位を独占します。不労所得の巨額さが、普通の人々の怒りが強まります。新橋周辺でNHKが所有していた土地の売買で数千億円の金が動いたことから、怒りはますます上昇します。
当時、国鉄の貨物操車場があった汐留には7兆7千億円という途方もない価格がつきます。旧国鉄の37兆円に上る累積赤字の償却を進めたかった政府は、垂涎の物件だったのですが、土地の高騰を煽るものだという批判が強まり、汐留の売却をペンディングせざるをえなくなります。そうこうしている内に、バブルは崩壊、汐留の再開発は、10年先に繰り延べられたのです。
汐留の貨物操車場 右の公園は浜離宮
昭和34年
昭和40年
再開発前

再開発した汐留