ビニ本・裏本・自販機本

ビニ本
 1980年に入る少し前の70年代の終わりの頃、薄い下着から透けて女性器がうっすらと見える写真集が出版され、大ブームになります。専らエロ本屋または古本屋も、少しレベルの低い店で売られます。ビニ本はA4版カラー52ページが主流で、裸体の女性が単独で大開脚などのポーズを取るスタイルで、基本は一人。美少女に人気が集まるのは世の習いであす。
ビニ本人気を決定付けた慢熟

 上の子も人気があったのですが、名前は覚えておりません。下の子当時、最も人気があった小川恵子です。いくらくらいだったか、3千円くらいだったかと。

 ちょっとズルして、週刊ポストの特集ページから。発言は元アリス出版の川本耕次氏。
週刊ポスト「懐かし昭和のエロス雑誌大全」2010.10

 ヌード写真のエロ系は、70年代に入ってから変わり始めていますが、昔は中年のオバさんばかりで、美人とはほど遠い代物で、高校生や若いOLふうにしていたって、今の熟女をはるかに超えた、スタイルなんてものは期待する方が無理だったのです。おまけに写真の技術も酷いし、カラーも少なかった。今じゃ、何てこともないヌード写真も当時は実に衝撃的だったのです。なにしろ毛が1本見えたくらいで大騒ぎしていた時代だったのですから。その代わりといっては何ですが、こんなものに出たら女性は一巻の終わり、堕ちた者だと言われたものです。

 それが芸術写真という形で変化し始めるのは、秋山庄太郎あたりですから、昭和も40年代ぐらいからです。この状況を変えるのは篠山紀信で、若い娘たちのヌードが青年誌に氾濫し始めるのは昭和50年代に入る頃だったでしょう。エロ系のヌードは昭和50年頃になってから大きく変わっていくのですが、ビニ本はエロ本にとって革命的なものになります。

 性の解放運動が70年代から続き、数多くの猥褻裁判も行われる中で、91年にヘア解禁、女性の下の毛を写して販売することが可能になる(篠山紀信の樋口可南子写真集)までの徒花というべきものか、あるいはヘア解禁を後押ししたものなのか、あまりよくは分かりません。

 警察とビニ本業者の、一方は過激なビニ本を押収しよう、一方は、如何にしてそれを逃れるかという激しい闘い、駆け引きがあり、そこらの話は南伸坊「さる業界の人々」に詳しくあり、そっちもなかなか面白いです。
押収されたビニ本 1981年

 性にかかわる流行の中で、この当時、下着ブームが起きます。数多くの出版物が登場します。まぁ、これこそ今ではどうということもない感じですが。
           下着情報誌


(裏本)
 81年に最初の裏本、金閣寺、法隆寺が出版され、週刊誌やスポーツ紙などで大きく報道されます。裏本の構成はビニ本に似せてあり、A4版カラー52ページですが、最大の特徴は性行為そのものを写している事です。男女の出演であり、男は顔を写していないことの方が圧倒的に多かった。完全な非合法で、当然のことながら警察の取締はメーカーはもちろんのこと販売者であろうとひっかかるものでした。この為、販売は歌舞伎町辺りにあるビニ本の販売店で、常連客を中心に、客の顔を見てレジの裏から出してくるというものでした。価格はビニ本の3倍から5倍ありました。
宝島97.12.10号

裏本中期のヒット作

裏本後期のヒット本


 ビニ本の女性達も人気が出ましたが、裏本の女性達はそれを優る人気が出てくる所が不思議なものです。もちろんビニ本に出ていた子が裏本にも出ていることもあり、いづれも大ヒットになっています。裏本の刷り部数は決して多くはなかったはずですが、奇妙なほど世の中に知れ渡ったのです。現在、Wikipediaのビニ本関連の女性の名前は、ほぼ全員、裏本に出た女の子達です。

(自販機本)
 本屋でエロ本を買うのが躊躇われる中で自販機でのみ売られる本が出現します。それが自販機本という一つのジャンルを作り出します。実の処は買ったことがないので、いったいどこがどう違っているのか分かりません。


 Jamは、「山口百恵のゴミ箱あさり」という意表をついた企画がもの凄い評判になり、一躍有名になります。この企画は当時、人気絶頂にあったアイドル歌手の山口百恵の住んでいた家から出るゴミを、収集車が来る前に盗って(?)きて、その中身を公開したもので、使用済みのナプキンやパンスト、昔のテストの結果がグラビアで公開され、Jamだけでなく、他の週刊誌などにも転載されて大騒ぎになります。
 この評判でゴミに対する関心が異常に高まっていき、同じような企画が連発、やがて90年代の悪趣味に繋がっていきます。



 この自販機本に遊にも関わった山崎春美さんが編集を担当するHeavenという、「ハイパーな変態と単なる変態を逆進化論的に分離させておかなければならない」というワケワカメのコンセプトのエロ本とは思えぬ変なミニコミ誌が入ったことがあります。第2号ではナム・ジュン・パイクの特集があるのですから、ある種、伝説的な本になります。やがてフールズ・メイトに組み込まれます。



 雑誌の話題でいえば、ウィークエンドスーパー、写真時代の末井昭が、このエロ文化時代をリードしていたことを付け加えておきます。雑誌はペヨトル工房もそうでしたが、何でもありの世界で創刊ラッシュが続いていて、面白いといえば大変、面白く様々な人間が乱入していたのです。